起床時心拍情報はアスリートのメンタルヘルス低下を予測するバイオマーカーとなるか? -エリートラート競技選手による単一事例研究から- - 新潟医療福祉大学 研究力

新潟医療福祉大学 研究力

2023.03.31

研究者 越智 元太

起床時心拍情報はアスリートのメンタルヘルス低下を予測するバイオマーカーとなるか? -エリートラート競技選手による単一事例研究から-

宇都宮大学共同教育学部の松浦佑希助教と健康スポーツ学科の越智元太講師の研究グループは、『The Potential of Heart Rate Variability Monitoring for Mental Health Assessment in Top Wheel Gymnastics Athletes: A Single Case Design (エリートラート選手における心拍変動モニターがメンタルヘルス低下を予測できるか?:単一事例研究)』の研究成果を、応用心理生理学とバイオフィードバックに関する国際誌『Applied Psychophysiology and Biofeedback』にて発表しました。本研究では、世界選手権優勝経験のある日本代表ラート競技選手1名を対象に、20か月間メンタルヘルス、起床時心拍情報をモニターし、心拍情報の1つである起床時立位姿勢で計測される心拍変動が個人内のメンタルヘルスの変動と関係することを解明しました。本成果は、起床時心拍変動がアスリートのメンタルヘルス低下を予測するバイオマーカーとして有用であることを示す、数少ない単一事例研究です

本研究は『2022年度新潟医療福祉大学共同研究・共同利用研究課題』として実施されました。

研究成果のポイント

  1. 心拍変動はストレスの影響を受けることから、コンディショニング指標となりうることが示唆されてきたが、その値は個人差が大きく、有用性に疑問が残っていた。
  2. 本研究は、エリートラート競技選手の起床時に計測した心拍変動が、個人内のメンタルヘルスの変化と関連することを、20か月間の単一事例研究により明らかにした。
  3. 特に、起床後立位時の心拍変動がメンタルヘルス低下を予測するバイオマーカーとして有用である可能性が新たに示された。

研究に至った背景

 アスリートは日々の激しいトレーニングに加え、メディアやソーシャルメディア上の世間からの目、学業や仕事といった競技以外の精神的負担など、様々なストレスにさらされています。こうした精神的・肉体的ストレスは、メンタルヘルスの低下を招き、パフォーマンス低下や、心身の健康問題にまでつながります。こうした負の影響が、競技からの早期引退、競技後の生活への支障も懸念されることから、アスリートのメンタルヘルス低下予防は我が国の競技力向上、スポーツ実施者増加における重要な課題と言えます。これまで、メンタルヘルス低下やストレスの評価法として、質問紙による心理的評価法が主に用いられてきました。心理的評価法は、素早く情報が得られる一方で、性別や性格、環境など個人差の影響を受けやすく、正確な診断は困難という課題も残されています。

 そこで本研究では、心拍情報の1つである心拍変動に着目しました。心拍変動は、心臓の鼓動の時間間隔変動であり、ストレスを受けると心拍変動値が低下することが知られています。心拍変動は、ウェラブル機器など、心拍計を用いて非侵襲的に測定できる生理指標であり、アスリートを対象とした横断的研究から、身体的ストレス(トレーニング量や怪我など)と関連することが示唆されています。一方で、心拍変動がパフォーマンスやメンタルヘルスの低下と関連するかはほとんど検証されておらず、コンディショニング指標としての有用性は不明なままでした。そこで、本研究では、同一選手を対象とした単一事例研究により、アスリート個人内のメンタルヘルスの変化と心拍変動が関係するか検証することにしました。

研究内容と成果

本研究の対象者は日本代表クラスのラート競技 (図1) のエリート選手(31歳女性、競技歴13年、世界選手権10回出場、うち優勝1回、入賞5回)1名でした。20211月から20227月までの20か月の間、1ヵ月ごとにメンタルヘルス指標 (抑うつ指標 (K6)、アスリート版バロン抑うつ指標 (The Baron Depression Screener for Athletes; BDSA)Profile of Mood States 2nd Edition; POMS2の「活気-活力」「疲労-無気力」、ストレス対処能指標 (Sense of Coherence; SOC)) とアスリートの精神的ストレス要因指標 (競技ストレッサー尺度)、トレーニング量の自己報告を測定しました。心理指標の測定週のうち3日間に起床時の心拍情報の測定を、胸ストラップ型心拍センサーを用いておこない、3日間の平均値をその月の心拍数、心拍変動としました。心拍情報は、起床後仰臥位のまま心拍数と心拍変動を、その後起立姿勢で心拍数と心拍変動を計測しました (図2)

実験の結果、起床時の仰臥位の心拍数、心拍変動、起立時の心拍数はメンタルヘルスとの間には弱い相関しか見られませんでしたが、起立時の心拍変動と抑うつ指標のK6POMS2の「疲労-無気力」の間には中程度の負の関係性が見られ (図3、4)、起立時心拍変動がメンタルヘルス低下と関連することが明らかとなりました。定期的な起床時心拍変動計測が、早期にメンタルヘルス低下を予測することを可能とする非侵襲的なバイオマーカーとして有用であることが示唆されました。

今後の展開

本研究からは、アスリートのメンタルヘルス低下を誘発するストレス要因の解明には至りませんでしたが、今後、心理尺度と心拍情報によるコンディション測定を詳細なストレス要因測定と組み合わせることで、アスリート個々に合わせたメンタルヘルス対策開発につながることが期待されます。

また、心拍変動を活用したアスリートのコンディショニング研究は、陸上競技や競泳、自転車といった、持久的な種目での検証が多く、今回の対象者であるラート競技のような採点種目での検証はほとんどありませんでした。各競技の種目特性を考慮し、種目特有のストレス要因とその影響を引き続き評価することで、競技ごとの新たなコンディショニング対策を打ち出すことが可能になると考えます。

図1.ラート競技

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ラート競技とは、2本の鉄の輪を平行につないだ器具を操る、ドイツ発祥のスポーツです。直転・斜転(図1左)・跳躍(図1右)の3種目からなり、技の難易度や美しさを競う採点競技です。

図2.心拍情報測定方法

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Polar社の心拍計 (H10Vantage V) を用いて起床時の心拍変動、心拍数の測定を行いました。測定日前夜より胸ストラップ型心拍センサー (H10) を装着して就寝してもらいました。起床後、腕時計型受信機 (Vantage V) に搭載されているRecovery Proソフトを用いて、仰臥位、立位での心拍変動、心拍数が計測されました。

図3.POMS疲労、心拍変動の折れ線グラフ

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メンタルヘルス指標の一つであるPOMS2の疲労と起床時心拍変動、心拍数の時系列データです。世界選手権後に疲労が大きく増加し、心拍変動が大きく低下していました。

図4.相関の図

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抑うつ指標として用いられるK6POMS2の疲労は、起床時立位姿勢で計測された心拍変動と中程度 (相関係数r0.30.7、もしくは-0.3~-0.7) の負の関係性が見られました。起床時立位心拍変動は、抑うつや疲労感といったメンタルヘルス指標と関連し、アスリートのメンタルヘルス低下を予測するバイオマーカーとなりうることが示唆されました。

掲載論文

【題目】The Potential of Heart Rate Variability Monitoring for Mental Health Assessment in Top Wheel Gymnastics Athletes: A Single Case Design
(エリートラート選手における心拍変動モニターがメンタルヘルス低下を予測できるか?:単一事例研究)

【著者名】Yuki Matsuura, Genta Ochi
【掲載雑誌】Applied Psychophysiology and Biofeedback
http://dx.doi.org/10.1007/s10484-023-09585-3

問い合わせ先

松浦 佑希(まつうら ゆうき)
宇都宮大学 共同教育学部 助教
321-8505
栃木県宇都宮市峰町350
E-mail: yuki-matsuura@cc.utsunomiya-u.ac.jp
TEL: 028-649-5378

越智 元太(おち げんた)
新潟医療福祉大学 健康科学部 健康スポーツ学科 講師
950-3198
新潟県新潟市北区島見町1398番地
E-mail: ochi@nuhw.ac.jp
TEL: 025-257-4595