私たちヒトは恐怖や痛み、急激な温度変化などの外的ストレスにさらされると、過呼吸(過換気)を引き起こすことがあります。過換気中は、皮膚表面の痛み刺激を感じにくくなることが知られており、外的ストレスの軽減が過換気の生理学的意義の一つではないかと考えられています。しかし、過換気が皮膚感覚を弱めるメカニズムは明らかになっていませんでした。
過換気が起こると、体内の二酸化炭素(CO2)が必要以上に排出され、脳への血流供給が弱まる低二酸化炭素血症に陥ることがあります。本研究チームは、この点に着目し、過換気によって生じる体内のCO2濃度の変化が皮膚温度感覚に及ぼす影響について検討しました。
実験では、成人男女15人(23~29歳)を対象に、通常呼吸時の皮膚温度感覚をまず測定しました。その後、ストレス時に生じる過換気を模した自発的過換気を行って体内のCO2を過剰に排出させた場合と、自発的過換気を行いながらCO2を吸入することでCO2の過剰な排出を防いだ場合のそれぞれについて、皮膚温度感覚の変化の有無を測定しました。その結果、過換気で体内のCO2が過剰排出された場合にのみ、参加者は皮膚の温度変化を感じにくくなることが分かりました。
これらのことから、過換気中に皮膚感覚が鈍化するメカニズムに重要なのは、過換気自体ではなく、過換気によって生じる体内のCO2の過剰排出であることが示唆されました。また、夏の暑熱下での生活や運動、冬の水難事故など大きな体温変化によって起こる過換気は、「暑い」や「寒い」といった感覚を鈍らせ、熱中症や低体温症体温発生を助長している可能性が考えられました。
■研究代表者
筑波大学体育系
西保 岳 教授
新潟医療福祉大学 健康科学部 健康スポーツ学科
藤本 知臣 講師
■研究の背景
私たちヒトは恐怖や痛み、急激な温度変化などにさらされると過呼吸 (過換気) に陥ることがあります(図1)。過換気中には皮膚表面の痛み刺激を感じにくくなることから、外的ストレスの軽減が過換気の生理学的意義の一つではないかと考えられています。しかし、過換気が皮膚感覚を弱める生理学的なメカニズムについては明らかになっていませんでした。
本研究チームは、過換気によって変化する体内の二酸化炭素(CO2)濃度に着目しました。過換気時には、体内のCO2が過剰に排出され、低二酸化炭素血症注1)に陥る場合があるからです。しかし、低二酸化炭素血症が皮膚感覚を弱めるかどうかは明らかではありませんでした。また、皮膚感覚の中でも温度感覚は体温変化から身体を守るための行動性体温調節反応注2)を引き起こす重要な感覚ですが、過換気によって皮膚の温度感覚も弱まるかどうかは明らかではありませんでした。そこで本研究では、過換気が皮膚感覚を弱めるメカニズムを解明するために、低二酸化炭素血症の有無と皮膚温度感覚との関係について検討しました。
■研究内容と成果
本研究では、15人の若年成人(男性12人、女性3人、26±3歳)を対象とし、前腕部と前額部において皮膚温度感覚を測定しました。実験では、通常の呼吸時 (Control条件) の測定を行った後、過換気によって体内のCO2濃度を低下させた場合 (HH条件) と過換気を行いながらCO2を吸入することで体内のCO2濃度を維持した場合 (NH条件) のそれぞれについて測定を行いました。
いずれの測定も皮膚温冷覚閾値測定装置注3)を用い、測定部皮膚温と同じ温度に設定した測定装置のプローブを前腕部もしくは前額部に押し当て、プローブの温度を徐々に上昇もしくは低下させていきます。研究対象者は、温かさや冷たさを感じた時点でボタンを押し、その時点のプローブの温度を測定します。測定開始時の皮膚温と、温かさや冷たさを感じた時のプローブの温度との温度差を皮膚温度感覚の指標として用いました。
その結果、皮膚温度感覚は体内のCO2濃度(正確には呼気終末二酸化炭素分圧)が低下した場合にのみ鈍くなり、より大きな温度変化が生じなければ温かさや冷たさを感じなくなりました。その一方で、過換気中に体内のCO2濃度を維持した場合の皮膚温度感覚は、通常呼吸時と差がみられませんでした(図2)。これらの結果から、過換気による皮膚感覚の鈍化には、過換気自体ではなく、過換気による体内のCO2濃度の低下が関連していると考えられました。
■今後の展開
本研究の結果は、過換気による体内のCO2濃度の低下が皮膚感覚の鈍化に関連していることを示唆しています。皮膚温度感覚の鈍化は、行動性の体温調節反応の減弱につながります。夏の暑熱下での生活・運動や冬の水難事故など、大きな体温変化によって起こる過換気は「暑い」や「寒い」といった感覚を鈍らせ、熱中症や低体温症体温発生を助長している可能性があります。
本研究では、CO2濃度の低下が皮膚の温度を感じる経路のどの部分 (皮膚からの情報伝達、もしくは脳内での処理など) に影響を及ぼしているかは、明らかになっていません。今後は、過換気による体内のCO2濃度の低下と皮膚刺激時の神経活動などを検討していくことで、より詳細なメカニズムの解明につながると考えられます。
■参考図
図1 外的ストレスによって生じる過呼吸 (過換気)
恐怖や痛み、急激な温度変化などは過換気を引き起こす。必要量を超える換気が行われることで、体内の二酸化炭素が過剰に排出される。
図2 各条件における皮膚温度感覚
温かさや冷たさを感じるのに要する温度変化は、過換気によって体内のCO2濃度が低下した場合 (HH条件) において大きくなり、温度感覚が鈍くなった。一方、過換気を行いながらCO2を吸入することで体内のCO2濃度を維持した場合 (NH条件) には、通常呼吸 (Control条件) と差はみられなかった。
*: p<0.05条件
■用語解説
注1) 低二酸化炭素血症
体内の二酸化炭素が過剰排出された状態。脳血管が収縮し、脳への酸素供給を制限する。
注2) 行動性体温調節反応
体温調節反応の1つであり、衣服の着脱や冷暖房の使用などの体温変化を最小限にするための行動。
注3) 皮膚温冷覚測定装置
温度制御装置、温度・熱流センサーおよび表面にペルチェ素子(25mm四方)がついたプローブで構成された測定装置。プローブ表面の温度を一定の割合で変化させることができる。
■研究資金
本研究は、筑波大学体育系ヒューマン・ハイ・パフォーマンス先端研究センター(ARIHHP)共同利用・共同研究公募事業 (No. 2020(O)25, 採択者: 藤本 知臣) により実施されました。
■掲載論文
【題 名】
Hypocapnia attenuates local skin thermal perception to innocuous warm and cool stimuli in normothermic resting humans.(低二酸化炭素血症が温感や冷感に対する温度感覚を弱める)
【著者名】
Tomomi Fujimoto1, 2, Kohei Dobashi3, 4, Naoto Fujii3, 5, Ryoko Matsutake3, Takeshi Nishiyasu3, 5
【所属】
1 Department of Health and Sports, Niigata University of Health and Welfare, Niigata, Japan
2 Institute for Human Movement and Medical Sciences, Niigata University of Health and Welfare, Niigata, Japan
3 Faculty of Health and Sport Sciences, University of Tsukuba, Ibaraki, Japan
4 Faculty of Education, Hokkaido University of Education, Hokkaido, Japan
5 Advanced Research Initiative for Human High Performance (ARIHHP), University of Tsukuba, Ibaraki, Japan
【掲載誌】
American Journal of Physiology-Regulatory, Integrative and Comparative Physiology
【掲載日】
2023年1月5日(オンライン公開)
【DOI】
https://doi.org/10.1152/ajpregu.00126.2022
■問合わせ先
【研究に関すること】
西保 岳(にしやす たけし)
筑波大学体育系 教授
TEL: 029-853-2616
E-mail: nishiyasu.takeshi.fw@u.tsukuba.ac.jp
URL: https://exerphysiol.taiiku.tsukuba.ac.jp/
藤本 知臣(ふじもと ともみ)
新潟医療福祉大学 健康科学部 健康スポーツ学科 講師
TEL: 025-257-4675
E-mail: fujimoto@nuhw.ac.jp
URL: https://nuhw-sportsphysiolgy-lab.wraptas.site/
【取材・報道に関すること】
筑波大学広報局
TEL: 029-853-2040
E-mail: kohositu@un.tsukuba.ac.jp
新潟医療福祉大学 事務局 入試広報部 広報課
TEL: 025-257-4459
E-mail: soga@nuhw.ac.jp